おとりざの転換と、バーチャルyoutuberグループに視聴者が求める「競争のドラマ」と「協調の楽しさ」
近頃、企業主導の大規模なバーチャルyoutuberグループが増えてきました。
同時に、グループの解散やプロデューサーの退陣など、バーチャルyoutuber事業から手を引いたり方針の転換を進めたりする運営も増えてきました
「おとりざ」
そんな中、2018年11月25日に運営方針の変更を発表したのが「御伽りざれくしょん」(以下おとりざ)です。
こちらが公式からのリリースです。
( 御伽りざれくしょん公式サイト
御伽りざれくしょんを知らない方は以下の公式サイト
( 御伽りざれくしょん公式サイト
からの引用をご覧下さい。
御伽りざれくしょんとは
おとぎ話、伝記、伝説、神話...
どれも語り継がれてきたものばかり
しかし今、
娯楽が飽和した時代では物語は忘却の彼方へ...
物語に由来を持つ少女たちは
次の千年語り継がれるために
今、リザレクションする
以上引用。
わかりやすい説明は以下のPANORAさんの記事を読んでみてください。
御伽系VTuber応援プロジェクト「御伽りざれくしょん」スタート ポイント1位は3D化 – PANORA
https://panora.tokyo/80054/
「バーチャルyoutuberグループの方針」
バーチャルyoutuberグループの運営には以下のような方針の傾向があると考えています。
「放任」
そんなに活動内容を制限しないし自由にやっていいけど、サポートとかはそこまでできないよ。
「管理」
企画したり編集したり機材提供したりサポートはするけどある程度活動に制限(配信頻度や時間、内容に関する制限)はつくよ。
「協調」
メンバー同士仲の良いグループを目指そう。でもメンバー全員を見てもらうような工夫とか仲の良さが必要だよ。
「競争」
メンバー同士で競争しながら成長していこう。人気の子には強力なサポートがつくよ。
理想は「ある程度好きにやっていいし」「メンバー全員に強力なサポートをするから」「メンバー同士仲良く」「目標目指して頑張ろう」
だとは思うのですが、お金や人手やリスクやメンバー同士の相性などでそこまでできるところは多くありません。
アップランドのアイドル部くらいでしょうか。
(アイドル部は厳しいみたいに言われているのをたまに見ますが、アップランドはそこまで厳しいわけではなく、アイドル部のメンバーが真面目なだけじゃないかな、と配信を見てると思います)
他の知名度のあるグループだとにじさんじが「放任」「協調」、ホロライブも「放任」「協調」
あにまーれが「やや放任」、ハニーストラップが「やや放任」「協調」
KAGAYAKI STARSが「やや管理」「やや協調」くらいでしょうか。
「おとりざの方針」
では、従来のおとりざはどうだったでしょうか。
イベント等を企画し、コラボ開始の時期を決めるなどの方針はあったものの、
メンバーひとりひとりに対する機材等のサポートは薄く、配信環境の差が大きくなっていました。
環境に差がある状態で競争し、4ヶ月後にランキング1位が3D化する。
従来は「放任」と「競争」、それぞれのデメリット部分が目立つ状態でした。
これが、新しい方針では「やや管理」「協調」の方針に変わりました。
積極的にコラボを行い、毎週イベントを開催しメンバーと話し合いながら随時サポート。
従来の方針に比べ、非常に手間がかかると思います。
それでもこの方針に転換したおとりざには頑張って欲しいですね。
「競争のドラマ」
メンバー同士で競争して1位にはご褒美。
この方針事態は別に悪いものではないと思います。競争の過程でストーリーが生まれ、ファンも自分の「推し」のために死ぬ気で応援する。この一連の体験もエンタメのひとつでしょう。
ただし、競争が続くと、ファンも配信者も疲れてしまいます。
念のためですが、こうした手法を否定する気はありません。
最近ではバーチャル蠱毒がバズりました。参加者も納得しての蠱毒で、期間も決まっているので面白い試みですよね。
何度も見たいものではありませんし、使い捨てのオーディションをしんどいものから面白いものに変えてくれた参加者の力量による面白さだとは思いますが。
バーチャルyoutuberの低評価遊び
この記事のテーマは「バーチャルyoutuberの配信での低評価遊びの是非」です。
「起」
YouTubeには動画や配信に高評価と低評価をつける機能があります。
その動画がいいと思えば高評価、悪いと思えば低評価を押すことで自分の意思を投稿者に伝えることができます。
1つの低評価に対し、気にならない人もいれば気になって悩んでしまう人もいます。
そんな中で「低評価をつける遊び」というのがバーチャルyoutuberの配信において1つの文化となりつつあるように感じています。今回するのはこの文化についてのお話です。
「承」
低評価遊びが文化となった、1つの大きなきっかけは、バーチャルyoutuberのあさひさんのハチ公放送と呼ばれる伝説的な配信でしょう。
この放送では視聴者が低評価をつけたり、外したりして配信者であるあさひさんを煽る、イジるといった行動が流行っていました。
あらゆるイジりにも慣れているあさひさんは、他の配信者の所ではやらないようにと注意した上でそれをネタにし、最終的に低評価はほとんど外された状態で配信は終了しました。
ここで視聴者と配信者の間に2つの「低評価遊びのルール」が出来上がりました。
1つは「低評価をつけたり外したりして遊ぶ」という遊びがあるということ。
2つに「こうしてついた低評価は最終的に外される、外せば問題ない」ということです。
この遊びは最後にハッピーエンドがあることを互いに理解した上で成り立つプロレスです。
視聴者は配信中に気兼ねなく低評価を押し、配信者も配信中は低評価をさほど心配せずにトークのネタにできるという関係性が出来上がるということです。
こうした了解はバーチャルyoutuberのicotsuさんの配信でも交わされました。
こちらの配信では、一時3桁を超えた低評価が、icotsuさんの一挙手一投足に応じて乱高下し、配信終了時には0になるという「低評価遊び」がされていました。
「転」
さて、ここまで読んで「最終的に0になるなら問題ないのでは」と思った方も多いのではないでしょうか。
ではなにが問題か。問題は以下の2点です。
①配信者が「低評価遊びのルール」を知らない可能性がある。
②低評価をつけたまま忘れる可能性がある。
ここで主に問題としているのは①です。
ルールを知らない配信者は、低評価の数はそのまま自分の配信に不満を抱く人の数だと理解します。互いにプロレスだと理解していないプロレスは成り立ちません。
配信者は「この配信は受け入れられていない」と考え、悩んでしまうでしょう。
しかし、一部の視聴者にとって低評価はそれほど重いものではありません。配信者への軽い「イジリ」なのですから。配信での些細な一言に反応して低評価を押します。
この軽い低評価には外すタイミングがあります。低評価に気付いた配信者がアクションを起こし、笑いを取った時です。
自分の行動の起こした結果に満足した視聴者は笑いながら低評価を外し、高評価を押します。
皆が同様のタイミングでこのような低評価遊びをすることで、目に見える数字の動きとともに視聴者の間には連帯感のようなものが生まれることでしょう。
しかし、もし配信者が低評価を真に受けて、そのまま配信が終わってしまったら。軽い気持ちで押された低評価は積み重なり、確かな数となって配信者にダメージを残すことでしょう。
「結」
ここで「低評価遊びの是非」についての結論です。
みなさんこんな遊びは止めましょう。どうしてもやりたいなら相手を見極めてやってください。
こんなことをする暇があるのなら思わず配信者が拾いたくなるようなコメントを考えて真っ当に配信を盛り上げましょう。
配信は盛り上がり、視聴者の芸も磨かれます。win-winです。
低評価には実害があります。数百人に不満を抱かれるというのは配信者にとって非常に辛いことです。軽い遊びが人を傷付けます。
また、低評価の多い動画を見ようと思う人がどれだけいるでしょうか。視聴者が軽い気持ちで遊んで、外し忘れた低評価は再生数を減らします。
「余」
私は、バーチャルyoutuberのコンテンツとして、バーチャルyoutuberと視聴者の間で双方向的に盛り上がるものが多数を占めていると考えています。
バーチャルyoutuberそれぞれの持つ世界観の中に私たち視聴者は飛び込み、その中でファンとしてコンテンツを楽しみます。
あるときは真っ白な豆腐になって潰され、あるときは母性を求め、またあるときはこいぬになります。
もちろんそういった遊びに混ざらず、ただの動画として楽しむこともできます。非常に自由度の高く、そして没入感のあるコンテンツです。
それだけに、視聴者がバーチャルyoutuberに与える影響は大きいとも考えています。
自身の起こしたアクションが相手を不快にしないか。当然のことですが、一度考える必要があります。
ネチケット大事。バーチャルセクハラはやめようね!
この最高に夢があり、楽しく優しいコンテンツがいつまでも続くことを祈っています。